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熱と命 - 400円で気づいた、人の温もりの大切さ

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photo credit: Oneras Brother and sister hug via photopin (license)

 

こんにちは。てけです。

 

この前、立ち食い形式の蕎麦屋に入ることがありました。とても寒い日の中、熱いそばをすすって来ました。最近の立ち食い蕎麦屋は、400円もあればかなりいい蕎麦を食べることができますし、かなり本格的に蕎麦を作っているお店もあっていいですよね。

 

そして食べ終わった後のお椀を返しにいった時に、返却台の上に、まだ湯気がホカホカと立っている、空のお椀がありました。これを返した人は、きっとあっという間に食べ終えたのでしょう。

 

そのお椀を見た時に、僕はそのお椀から "生" を連想しました。命の存在を感じたんですよね。湯気の立っていないお椀は、"モノ" なのですが、湯気がたっているだけで、そこには命の残り香がありました。

 

「あぁ、人が生きていたんだ。存在していたんだ。そばを食べていたんだ…。」

 

と感じたのです。頭おかしいかもしれませんが、そんなことを思ったのです。

 

そんな体験をしてすぐ、街を歩きながら、ある小説の一場面を思い出してしまいました。その場面は、こんな内容でした。

 

ある朝、主人公の母親が亡くなって、救急車で運び出された。しかし、母親は夜が明けてから亡くなったのだろう、母親が寝ていた布団には、暖かさがまだ残っていた。しかし、その暖かさは時を経るごとにみるみる冷めていった。布団の温度が下がっていくたびに、母親の存在を無理やり引き剥がされているように感じられ、それまでは気丈に振る舞っていた主人公は、時の経過を忘れるほどに泣き、叫んだ。

 

この小説では、布団の温もりが、母親の "生" とリンクしていたのです。それだけ、熱や暖かさ/温かさの存在は、人に命の存在を意識させる話だったのです。

 

そこで、そばの話と、布団の話がリンクして、僕は思いました。

 

人同士は直接触れ合うことで、お互いに存在を確認し、本当の意味で、つながることができる。

 

今は情報社会で、チャットやメール、電話などの手段でいくらでも声や映像で、自分の存在を他人に伝えることができますし、他者と繋がることもできます。しかし、それらの手段で繋がるのは、あくまで仮の姿で、真に繋がるのは、やはり直接触れ合うことが必須なのだと思いました。

 

化学的に考えれば、熱はエネルギーの一形態なんですよね。しかし、情報社会で視える・聞ける人の顔や声は、単なる情報であり、そこにはエネルギーがないのです。分子はエネルギーを与えると、元気になり、化学反応が促進されるように、人同士も、エネルギーを感じることで、元気になり、より大きなことを成し遂げることができるのです。

 

この話とつながるところがあると思うのですが、先日、時給9,000円でベッドを温めるサービスについての記事を見つけて、衝撃を受けると同時に、なんか納得してしまいました。これも、「エネルギーを直接分けて欲しい」というニーズを汲み取れたからこそ成立するビジネスなのかもしれません。顧客には、うつ病気味の人が多いそうですが、サービスを受けてうつ病が和らいだ方もいるそうですね。

 

bq-news.com

 

なので、僕たちは、いくら情報社会が進んでも、最も原始的かつ初歩的な人との関わり方である、「直接会う・触れ合う」ことを無視できないようになっているのかもしれません。ネットを介しては、命のエネルギーは伝わりません。命のエネルギーは直接伝える、そして命のエネルギーのやり取りを積極的に行うことこそが、精神的に疲弊する現在社会を生き抜く鍵になるのかもしれません。

 

…さあ、今日も外に出て見ましょう!そして、人のエネルギーを感じてみませんか?

 

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