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【速報】2019年元日に新天皇即位へ…「平成」は、2018年で終わってしまうようです。

文化 雑記

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photo credit: alebaffa The Emperor's Birthday via photopin (license)

 

こんにちは。てけです。

 

本日、読売新聞に以下のような記事がありました。

現在の元号「平成」が、2018年、平成30年を区切りとして、終わりを告げる可能性がかなり濃厚なようです。

 

toyokeizai.net

 

詳細は、元の記事に書かれているので、新元号に関する議論はここでは述べません。その代わりに、読売新聞の記事を読んで、思ったことを思ったままに書いていこうと思います。

 

昭和天皇崩御と「平成」の始まり

昭和天皇崩御の後、今上天皇 (現在の天皇陛下) が即位するのにあわせて、「平成」の時代がスタートしました。昭和天皇崩御の時のニュースは、今でも見ることができます。昭和64年1月7日6:33に崩御されたにもかかわらず、6:35になってようやく危篤の報告をしていたりと、このころから、まるで東日本大震災メルトダウンの時のような情報操作があったことのは悲しいところではありますが、政府や宮内庁のピリピリとした雰囲気からも、一時代の終焉に伴う緊張感が伝わってきます。

 

また、崩御を伝えるニュースでは、緊急のニュースや非常事態を伝える際にNHKが流すチャイムが2回流れています。東日本大震災の時ですらチャイムは1回でしたので、日本で最も緊急度の高いニュースであることは間違い無いでしょう。

 


昭和64年1月7日6時35分・天皇陛下ご危篤の会見

 


昭和天皇崩御を伝える臨時ニュース (3:30ころから)

 

昭和天皇崩御の翌日に「平成」の元号が公表され、平成元年2月24日に、「大喪 (たいそう) の礼」と呼ばれる、天皇陛下の葬儀が執り行われました。日本全体が悲しみにくれた日であると同時に、日本は神道を中心としている国であることを再認識し、そして日本に古来より息づく、大喪を構成する儀式の数々を見ることができた日にもなりました。

 


【天皇陛下】 昭和天皇大喪 ダイジェスト版

 

 

平成時代に、平成はもたらされたのだろうか

「平成」の名前は、中国の古典である『史記』の『内平かに外成る』と書経』の『地平かに天成る』からきています。存在するあらゆる世界の平和を願って、つけられたようです。より詳しく学びたい方には、明治神宮がとても詳しい解説を出しているので、紹介します。

 

www.meijijingu.or.jp

 

平成には、いつも、どこでも平和な状態がつづいていることを願ってつけられたわけですが、平成の世の中は、阪神・淡路大震災東日本大震災を筆頭に、様々な災害があり、そして、地下鉄サリン事件や中東諸国での日本人拉致や殺害などの虐殺事件も多くありました。世界を見ても、世界同時多発テロをきっかけとして、世界中でテロが山のように起こるようになり、アルカイダイスラム国をはじめとする国際的なテロリストが溢れかえる世の中になってしまいました。

 

昭和から平成に変わり、飛行機によって世界が物理的につながり、インターネットによって世界のどこにいても数秒で情報をやり取りできるようになり、昭和の時とは比べ物にならないスピードで、世界がまるで一つの国のようにつながり始めてきたように思います。

 

平成の次の世代には、果たしてどのようなことが起こるのでしょうか。日本の立ち位置は、これからどのようになっていくのでしょうか。もしかしたら、EUのような組織がアジアにでき、日本はそれに加盟しているかもしれません。その反対で、日本がどこかの国の戦争に巻き込まれている可能性も否定はできないのです。日本人らしさもこれから失われるかもしれませんし、逆にナショナリズムが高まって日本人がさらに伝統を大切に、保守的になるかもしれません。

 

「平成」と名前がついている時代であるにもかかわらず、日本国内においても、日本と世界の間においても、変化が激しく、危険で不安定な世の中になりつつあるのです。

 

そのような世の中で生きているので、平成世代の人たちは、今まで以上に個性に幅ができているような気がします。彼らは、変化が激しく、不安定な社会に適応すべく、自分なりに考え、自分の強みを伸ばし、個性を大切にして生きているのです。

 

加えて、日本社会に敷かれたレールに乗って過ごしてきた昭和世代の人々の多くが、必ずしも成功していない現状を知り、日本社会に敷かれたレールそのものに疑いを持ち、自分で道を切り開いていこうとする野心溢れる人たちも、平成時代の人たちには多くいます。

 

この性質は行き過ぎると、自分以外に誰も信じられなくなり、「自分と自分と深い関係にある人以外は全て背景と同じ」ように扱う人も生んでしまいます。その意味で、平成時代は、本格的な個人主義の幕開けとなった時代ともいえるでしょう。

 

平成時代の象徴「ゆとり世代」とゆとり世代差別

平成時代を表す代表的な言葉の一つに「ゆとり世代」があります。個々の生徒の個性をより大切にするとともに、より多くの休日を学生に与えることで、それぞれの学生がよりのびのびと育つ環境を政府が与えるようになる中で、その環境を完全に享受して育ってきた世代が「ゆとり世代」にあたります。

 

ゆとり世代」は、昭和世代の人たちと比べて、ガチガチの規則に縛られて育ってきた人たちが少ないため、他者の考え方を尊重する人たちが多いです。また、自分の価値観を他者に押し付ける人の割合も小さいです。しかしその反面、安定志向が強く、いわゆる「尖った」人たちが少ないとも言われます。また、安定志向、安全志向が強いゆえに、恋愛に対してもとても慎重な傾向にあります。

 

その流れが主流でありながら、同時に、最近では、安定思考では日本の労働環境ですり潰されるだけだと感じ、早いうちから独立をしたり、起業をしたりと、独立心が非常に高く、ベンチャー精神あふれる若者も出てきています。また、幼少の頃から多言語の環境で育ち、日本で学ぶことや働くことをやめ、海外に出て行く若者も出てきました。

 

したがって、平成世代、「ゆとり世代」の人材が持つ多様性は、昭和世代の人材の多様性を大きく凌駕していると思います。

 

しかし、「ゆとり世代」は、昭和世代のごく一部の人たちから見れば、温室育ちのように見えるのか、かなり差別的な扱いを受けることがあり、若い人たちが持つストレスの一つになっています。なぜ生まれた時代が違うだけで、一部の人たちは、ひとくくりにして差別してしまうのか、僕は疑問を持っています。

 

ただ、平成時代が終わることで、「ゆとり世代」中心とする平成時代の人たちも、また過去の人になります。そして、次の元号の時代で生まれた子供たちが社会に出てくる約20年後、平成時代の人たちは20歳から50歳です。今、「ゆとり世代」を揶揄している年代の人たちと同じ状況になっているのです。

 

その時、僕たちはどのように、次の世代に生まれた若者を迎え入れるのでしょうか。今、僕たちが辛いと思うような迎え方をしていては、今の、ゆとり世代差別と同じになってしまいます。次の世代の若者には、同じ思いをして欲しくないです。社会人は刺激的で、面白い世界だと伝え、新世代の若者を暖かく迎え入れることができるオッサンに、僕はなりたいです。

 

ゆとり世代差別で苦しんだ僕は、次の元号に生まれてきた若者たちに同じことをしないように生きていきたい

「時代は繰り返す」とよく言われていますが、もうすぐ、僕たちが過去の人になります。スティーブ・ジョブズが行ったスタンフォード大学のスピーチの中に「今の主役は (大学を卒業する) あなただが、将来的には確実に老いていき、消えていきます」という言葉があるように、今は主役であっても、いつか、将来の主役を支えるポジションになり、社会から退く時が来るのです。その時に、将来の主役を担う、次世代の若者に疎まれたくはないと僕は思っていますし、生まれた世代で差別される辛さを、将来の若者には味わって欲しくはないと思っています。

 

だからこそ、同じことを将来の若者にしないように、生きていきたいと思っています。いいことは積極的に繰り返すけれども、悪いことは繰り返さない。他者に流されないように、自分の行動を自分の信条に沿って決める人間として、生きていきたいと思います。そして、次の元号に生まれて来る若者を温かく迎えられる人になるべく、精進していきたいです。

 

 

 

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